日記:ジャズがなぜ建築以上に引きこもってるのか
なーんで、ジャズってこんなに一般的になんないんだろう、と。
それってもしかして、ライナー・ノーツの構造にあるのかもと、ふと思った。
通常は歌詞だとかメンバーの写真だとかで構成されてるあれ。
あれが、ジャズの場合歌詞はないので何が掲載されているかというと、解説。
作品に対する解説。うん、あって良し。歌詞(メッセージ)がないのだから。
なのだけど、それを評論家が書いているのがいかんのではないか。
たとえば建築。新建築系列だと、プロジェクトの後に文章がのっかっていて、設計者個人の言葉でそのプロジェクトがどのようなものであったのかを掲載している。他誌では、インタビューの言葉を編集者の言葉を交えながら掲載している。
その文章によってプロジェクトがより色鮮やかになったり、その逆になったり。
逆になるのはマズイが、とにかく図面や写真では補えない思いや状況や状態を言語によって再現し伝えようとしている。
それをジャズの場合、評論家まかせにしている。そして、その評論家の書く文章がまた難解。というか、過去の歴史を参照しすぎで偏っているのではないかと。建築界以上に扱う言葉が訛っているだべさ。
歴史を参照するのは、評論家としても、物づくりをする者としても大事なことだけど、それのみで構成するのは、なんだか過去にすがっているだけの印象を与える。
たとえば、先に紹介したリッチー・バイラークの解説文がヴィーナス・レコードのホームページ(PDF)で全文読めるので、一度目にしてもらいたいのだけど、どうでしょう。本当のインプレッションなんて全体の5%あるかないか。他の95%ぐらいは、やれいつ誰と演奏した人だの曲だのという話ばっかり。
歴史の情景のみを説明するという閉じた解説をすることによって、そのアルバムが曲が、より鮮明に、よりいいものに感じる人がどれだけいるのだろうか。「解説→客観性→史実を伝えること」という回路が良しとされてしまっている。
とはいえ、音楽のよさを伝えるのって、「鯖(サバ)ってどんな味?」って聞かれて答えるのと同じぐらい難しい。だからこそ、プロの評論家にはもっとがんばってほしいし、アーティストが直接それを伝えられるのだとしたらそれに越したことはないのだけど。
クリエーターは自分の感性でつくっておしまい、あとは見る人の感性にまかせますではなく、客観的な言葉で伝える努力は必要だよね、僕らもがんばらねばという話です。相手は鯖ではないのだから。いや鯖であっても。
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